「来年もよろしく頼むな」
「はい。よろしくお願いします」
年末の最後のご挨拶のとき
礼儀や作法
そして
”常識”
を知らなかった俺は、目上の方に対して
両手で握手をする
という当たり前のことすら分からず
片手で握手をしてそそくさと帰ってしまった。
当時10代の俺。
こんなとき、普通は(当時の普通)
「おい、なんだそれは!」
なんて怒られてもよさそうなものだけど。
その人は違った。
笑顔でお別れをした後携帯がなる。
ショートメール。
そこには短文でこうあった。
「キッスはおでこに 握手は両手で」
憧れの人
俺は”憧れの人”を真似することで形成されている。
今も今までもずっと真似してづけてきた。
10代の頃の仕事場の先輩、和也さん。
経営者としての師匠、三浦さん。
飲み方を教えてもらったMさん。笑(ちょっと身内ネタ)
アニキ。
そして。男、いや、
”漢”
としての師匠、Aさん。
他にも少なからず影響を受けてる人はたくさんいるんだけど。
やはり1番影響を受けたのはAさんだと思う。
「キッスはおでこに 握手は両手で」
これはそのAさんの言葉。
顔はとっても怖いんだけど、当人はとってもお茶目。
こんな語録はキリがない。
当時、”自爆”というか。
致死量を超えるくらい毎日浴びる様に飲んでた俺に(笑)突然、電話がなる。
AM2:00
「明日につながる酒飲んでるか〜?」
約3秒の電話。
「飲みすぎるなよ〜」
なんて言わない。
一方、女性がいる場所では物凄い人気者のAさん。
どう考えても顔怖すぎるのに。
近寄ってくる女性に
「ダメだよ。そんな近寄っちゃ。
俺ってすぐ酸性をアルカリ性に変えちゃうとこあるから」
こんな知的な野蛮な会話聞いたことある?笑
またある日、深夜に飲みのお誘いを受け
「行きたいんですが移動手段がありません」
と返答した俺にこう言っていた。
「とりあえず家出て道に出てみろよ。
そこで右手をあげてみろ。
そしたら運転手が止まるから
”新宿”って言えばここまでこれるぞ」
「タクシー乗ってこいよ」
の方が早い気がするけど、この辺りがAさん節。笑
一緒にタクシーを乗ってる時、運転手さんが道を間違えて前に進まなかったらこう言っていた。
「運転手さん、車は前に進むもんだぞ」
のみの誘いを断ろうと思って具合悪いフリして咳き込んだら
「今、風邪引かなくていいぞ!!」
真面目なところだとこんなのも。
仕事でうまくいかない俺に対して
「お前な、道があって二つに分かれてたとするだろ?
右か左か選ぶだろ?
だから迷子になるんだよ。
突き破ってまっすぐいっちゃえばいんだよ」
この文字だけだと伝わりにくいけど。
それが当時の俺の答えだった。
俺はほとんど何も話してないのにほとんどのことを鋭い勘で当てていき
そのことに対する言葉も直接的ではなく諭してくれる。
俺はどんどんAさんに惹き込まれていった。
当時眼鏡をしていた俺は(今はレーシック)
眼鏡のずらし方も真似して。
歩き方からタバコの吸い方、電話のかけ方、運転の仕方なども似ていった。
ちなみにAさんからの電話に出ないと
「携帯は携帯しておけよ」
と言われてしまう。
叱られてるんだけど嬉しくもあって。
とにかくカッコよかったなぁ。
ちなみに。
感覚で覚える人なので人の名前はほぼ正確に覚えない。
初対面の時に
「夢」
と書いたTシャツを着ていたお陰でそれから10年以上経った今も
「夢」
という名前になってしまったやつもいる。
当時の俺の連れに、髪型がとんでもない奴がいて。
「いつの時代のヤンキーマンガをみたんだ?」
という様なリーゼントをしていたので
「おい!お前は茨城みたいだな」
といわれ彼の名前は茨城になってしまった。
Aさんのなかでは
でかいリーゼント=茨城
だったのだろう。
その辺りはこちらもどんどん想像していくしかない。笑
なんだかこのAさん語録が一時期流行ってしまい
どこにいっても真似ばっかしてたら俺もこんな口調になったのは懐かしい思い出。
いや、今でもたまに出てるか。笑
新宿〜歌舞伎町〜
流れに身を任せるようにして流れたどり着いたその場所は
”厳しい”
なんて言葉で表現できるような場所ではなく。
理不尽な上下関係が当たり前のこととして成り立つ場所だった。
新宿、歌舞伎町。
今、こうして自由に生きていると
何であんな街にしがみついてたのか分からないけれど
それでもやはり毎日毎日楽しくて仕方がなかった。
そんな厳しい新宿をAさんの教えもあり無事生き抜くことができた。
お店や会社など60軒以上経営出来てきたのは決して自分ひとりの力じゃない。
土地柄、”怖い人”がいる場所で
陰ながら応援してくれて支えてくれてたのはAさんだった。
そして変な道にいかず生きてこれたのもAさんのおかげだと思う。
実は某漫画の主人公のモデルになってるAさん。
とっても有名人で周りに人がたくさんいる中で
なぜ俺があんなに可愛がられたのか分からないけれど。
本当に本当に実の子供のように可愛がっていただいた。
男の中の男
とはAさんのことだと俺は思う。
そして、去年の今日、Aさんは亡くなってしまった。
突然のことだった。
すべての時間を仕事に捧げ
身を削りながら生きていた新宿を俺が突然離れてからというもの
Aさんとは疎遠になってしまっていた。
いつも頭のどこかで
Aさんお元気にしてるかな?
と思いつつもなかなか連絡が出来なかった。
今日は1人でAさんのことを考えたくて
居候していた場所を離れホテルをとった。
葬儀で住職さんがこうおっしゃっていた。
「供養とはその人を思い出してあげることです」
今日は1人でお酒を飲もうと思う。
いや、Aさんと一緒に。
1周忌、帰国も考えたんだけれど。
俺はAさんと会話をして決めた。
もし生きてたらどんなおしゃれな言葉を使ったのか分からないけれど
「頑張れよ!」
と言ってくれている。
Aさん、俺は元気にしています。
携帯は携帯するようにしていますし
お酒も明日に繋がるお酒飲んでます。
そして言われた通りまっすぐきたらこんなとこまできちゃいました。
Aさん語録は実は自分が使いまわしすぎて
「ちぱ語録」
となりつつありますが勘弁してください。
「湿っぽいのは似合わね〜からよ〜」
といつかおっしゃってましたね。
ありきたりな言葉は言いません。
これからも背中を追いかけていこうと思います。
押忍!